しほんちゃくしょくゆうきはるともしょうぞうが
県指定文化財 絵画 No.4

結城晴朝(1534年~1614年)は15代政朝の子・小山高朝の三男として生まれ、伯父の16代政勝の養子となり、17代当主となったのは満25歳の時です。
以後、戦国の乱世のなか、結城家の存続をかけて13回もの合戦を戦い、天正18(1590)年には豊臣秀吉の小田原・北条攻めに参陣しました。 この時、秀吉に拝謁し、所領を安堵されるとともに、秀吉に養子縁組を願い出て、秀吉の養子「秀康(家康の次男)」を養子に迎え、家督を譲り、晴朝自身は中茎(小山市)の栃井城に隠居しました。これにより結城家の行く末は安泰かと思われましたが、これが後に皮肉な結果をもたらすことになりました。
本図は、右手に団扇を握り左手に数珠を持ち、しま模様の法衣を着、花文の袈裟を身に着けた僧の姿で、高麗縁の上畳に斜め右を向いて着座し、左奥には太刀が置かれています。この時期の形式化した武将像の中では極めて個性的な風ぼうをもつ人物として描かれています。
指定年月日 |
昭和32年6月26日 |
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所在地 |
結城市結城461(立町) |
所有者 |
宗教法人孝顕寺 |
製作年月日 |
江戸時代初期 |
大きさ |
縦55.6センチメートル、横40.4センチメートル |
員数 |
1幅 |
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