結城御朱印堀(附、地図2・証文1・由来帳1)
ゆうきごしゅいんぼり(つけたり、ちず2・しょうもん1・ゆらいちょう1)
県指定文化財 史跡 No.2

戦国時代末期、結城18代秀康の時代に、城の西側に、明確な都市計画に基づいた新たな城下町が建設されました。町の中心には東西に伸びる三本の道路と、それを結ぶ南北の4本の道路を作り、そこに四方から入る七本の道路をとりつけて、町の周囲には御朱印堀と呼ばれる大きな堀をめぐらしました。
御朱印堀で囲まれた新城下町は「地子御免(じしごめん)」といって、いわゆる固定資産税が免除されていました。
元禄五(1692)年、代官の間瀬吉太夫が町役人に対して、御免地の権利を証明する文書の有無を問いただしたところ、町役人たちは、結城16代政勝ならびに徳川家康によって地子御免が認められてきたことを記した「結城町内地子御免之事」を提出しました。そして、代官がこの特権を幕府に確認すると、幕府より今後も保証するという通書が下付されました。
しかしこれは事実ではありません。結城政勝の時代には御朱印堀は掘られておらず、ましてや家康の話などはまゆつばでした。しかし、度重なる支配者の交代が、町人たちの自治組織を確立させ、そのことが交通の要地として発達した経済活動を支えてきたことから、代官もその業績によって、この特権を正式に認めたのでした。
御朱印状なき御朱印堀は、町人たちの恵みと力の象徴だったのです。
なお、御朱印堀の位置を今に伝える『下総州結城絵図』は享保十九(1734)年に描かれたものです。
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指定年月日 |
昭和33年3月12日 |
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所在地 |
結城市結城(西町・立町・西の宮・浦町) |
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所有者 |
宗教法人弘経寺・宗教法人孝顕寺・宗教法人光福寺・個人 |
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製作年月日 |
江戸時代 |
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大きさ |
上幅7.5m 底幅0.5m 深さ3m |