昭和29年3月15日に,結城町,絹川村,上山川村,山川村,江川村が合併して,結城市が誕生しました。市制施行時の人口は39,642人,戸数6,868戸でした。
結城市は,市制施行以降着々と都市機能の整備に取り組みました。旧結城町の都市計画事業は昭和24年から実施されていましたが,市制施行によって結城市全域が都市計画区域に指定されることになり,現在の国道50号(小田林~大橋町~下小塙)と駅南停車場(L=247メートル)の建設工事が継続して進められました。
昭和30年当時の市内の自動車保有台数は,人気があった貨物三輪自動車が153台,貨物4輪車が普通・小型を合わせて54台,乗用車に至ってはわずかに9台に過ぎませんでした。
当時,陸上の輸送は主として鉄道によって担われ,バスやトラックは鉄道を補完するものに過ぎず,道路も今日ほど重視されていない時代でした。
結城市建設基礎調査書(昭和34年)によると,市道の総延長845,430メートルのうち,幅員4メートル以上の道路は105,975メートルに過ぎず,全市道の13パーセントに満たない状態でした。
道路のほとんどが砂利道で,道路整備といえば,道路に砂利を敷きつめるだけの補修工事であり,市がトラックで砂利を運び,地元住民の手で補修工事を行っていました。
やがて,補修は市の直営になり,昭和36年から防塵のための簡易舗装が始まりました。道路の整備は市政の重点施策として取り上げられ,市道の改良・舗装が進められました。