10月2日「結城朝光の日」について

 結城市の歴史を語る上で欠くことができない人物,それは結城朝光(ともみつ)です。

 朝光は,仁安(にんあん)2年(1167年),下野小山の豪族小山政光(まさみつ)の三男として生まれました。母は,常陸の豪族八田宗綱(はったむねつな)の娘で,後に寒河尼(さむかわのあま)と呼ばれ,源頼朝の乳母(めのと)を務めたひとです。

 治承(じしょう)4年(1180年)8月,源頼朝は,平氏打倒の兵を挙げ,石橋山の戦を経て,千葉に渡り,再び西に進み,10月2日,武州隅田宿(東京都墨田区)に陣をはり,兵を休めていました。

 その日,寒河尼は,数えで14歳になった男子を連れて,源頼朝に面会しに行きました。頼朝は,懐かしい寒河尼との再会と,成長した彼女の子を見て感涙にむせんだということです。彼女は,頼朝にわが子を近習(きんじゅう)として仕えさせてもらいたいと願い出ます。

 頼朝は,すぐに了承し,自らが烏帽子親(えぼしおや)となり元服させ,朝の字を与え,小山七郎宗朝(おやましちろうむねとも)と名付けました。

 この少年が,後の「結城朝光」の幼き日の姿なのです。このことは『吾妻鏡』(あずまかがみ)に詳しくありますが,この治承4年の10月2日が,朝光の日本史のデビューの日となります。

 それ以後,朝光は,常に頼朝のそばにあり,頼朝の鎌倉幕府創立を支え,頼朝亡き後も幕府の有力な御家人として結城の名を全国にとどろかせ,約400年にわたる結城氏の基礎を盤石なものとしました。

 朝光にとって10月2日は,彼の輝く未来を決定した,まさに記念すべき日といえます。

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  • 2015年1月15日
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