沿革

本市は鬼怒川,田川沿岸の結城野に位置し,上古(奈良・天平)から総(ふさ=総は麻の転)や穀(ゆう=木綿)の産地として総の国(ふさのくに)「ゆうき」と呼ばれ,縄文時代から農業が発達し,農耕文化が栄えてきました。これは,水運の便とあいまって地理的にも経済的にも開けたためであり,市内に現存する数多くの古墳や出土品,遺跡等によってうかがい知ることができます。
大化の改新以後,全国的に律令制度が整備され,総の国は,上・下に分かれ,下総の国の一部として結城郡が成立したと伝えられています。結城郡の郡庁舎は,上山川地区の結城廃寺跡周辺であったと想定されており,当時からこの地域の中心として栄えました。

鎌倉時代には結城朝光が築城し,以来結城家歴代の城下町で,常陸紬(結城紬)の特産地として発展してきました。江戸時代には結城水野家の城下町となり,結城紬をはじめ各種農産物の集散地として商圏が拡大しました。当地方で織られる「結城紬」は「地機(じばた)」という我が国最古の織機を使って生産され,国の重要無形文化財に指定されています。また,今でも市内には神社・寺院等が点在し,市街地の道路は曲折しており,町並みには土蔵等もみられ城下町のなごりを残しています。

明治時代の廃藩置県により茨城県の町村となり,日清戦争を契機として結城町の産業経済は大きく発展しました。

明治22年には国鉄水戸線が開通して駅前の発達がみられたが近代的な動きはなく,昭和29年に結城紬をはじめ農産物の生産を主とした生活圏を同じくする絹川村・上山川村・山川村・江川村の南部4か村が結城町と合併し,市制を施行しました。

時代が平成に変わってからは,道路や公共施設などの整備が大幅に進み,市制35周年記念事業として,市民文化センター「アクロス」が完成,また50周年記念事業では,結城市民情報センター・ゆうき図書館がオープンしました。

平成14年の国道50号結城バイパスの全線開通により,沿線への商業施設の充実や結城第一工業団地の整備拡大,南部第一土地区画整理事業第一工区の完成など,北関東の中核都市として着実に発展を続け,時代に対応したまちづくりをめざしています。

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  • 2016年2月5日
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