国史跡 結城廃寺跡附結城八幡瓦窯跡について

 『国指定史跡 結城廃寺跡附結城八幡瓦窯跡』とは,結城市大字上山川の地に,奈良時代に造られた古代寺院と登窯の跡地です。

 古代において,仏教は最先端の知識であり,寺院造営は木材加工や製鉄など様々な技術が用いられており,古代の知識と技術の結晶でもありました。

 発掘調査の結果,東国への仏教伝播において重要な寺院であったことが判明し,寺院の創建期に稼働した登窯も合わせて,平成14年9月20日に国史跡に指定されました。

結城廃寺跡

結城廃寺跡航空写真

 結城市の矢畑・上山川地区から発見された,700年代前半の奈良時代のはじめに建てられ,室町時代の中ごろまで,約700年間続いた大寺院跡です。周辺には,小字名として残る「結城寺前」「結城寺北」「大門先」「寺山」といった地名と,畑の表面に散布する数多くの瓦片が,この地にかつて古代寺院が存在していたことを伝えています。

 結城市教育委員会では,8回にわたる発掘調査をおこない,金堂跡や塔跡など,伽藍(がらん)と呼ばれる主な建物の跡を見つけ,回廊の内側で東に塔,西に金堂が並び立つ「法起寺式伽藍配置(ほっきじしきがらんはいち)」と呼ばれる建物の配置であったことが分かっています。

 また,寺の周囲に掘られた溝の跡も見つかり,寺の広さが南北250m,東西180mで,面積が45,000m2もあり,国分寺(奈良時代,聖武天皇が全国に建てた国立寺院)に匹敵する広さであることが分かっています。

 結城廃寺跡からは,多量の瓦片をはじめとする多様な遺物が出土しています。その中でも,塼仏(せんぶつ)や塔心礎舎利孔石蓋(とうしんそしゃりこういしぶた),棰先瓦(たるきさきがわら)などの貴重な遺物が数多く出土するなど,結城廃寺跡は,古代東国にあって畿内的特徴を持った,仏教文化の東国への伝来を伝える重要な寺院跡であることが分かっています。

 さらに,「…法城寺如…」とヘラ書きがされた丸瓦が出土したことにより,940年頃に成立した『将門記』に記されている「結城郡法城寺」は結城廃寺であったことが判明しました。

 これらの遺物の中で,塼仏と塔心礎舎利坑石蓋は市の指定文化財に指定されています。

塼仏(三尊仏) 塔心礎舎利坑石蓋 棰先瓦

塼仏

塔心礎舎利坑石蓋 棰先瓦

結城八幡瓦窯跡

結城八幡瓦窯跡近景 結城八幡瓦窯跡は,結城廃寺跡の北東方向約500mに位置しております。結城廃寺跡の屋根へ葺く瓦を作っていた窯跡です。 

 昭和28年,茨城師範学校の教授であった高井悌三郎氏によって最初の発掘調査が地元の中学生たちと一緒に行われました。この時に,半地下式の窯跡が1基調査されました。その後,平成12年度と平成13年度に結城市教育委員会で発掘調査を行い,3基の窯跡が調査され,前回の調査で確認された窯跡と同じく半地下式の構造でした。

これらの調査によって,結城八幡瓦窯跡は結城廃寺跡の創建期に瓦を焼いた窯跡であったことが確認され,結城廃寺跡と同様に重要な遺跡であることが判明しました。

結城八幡瓦窯跡 1号窯跡1号窯

出土遺物について

 結城廃寺跡・結城八幡瓦窯跡から出土した遺物等の閲覧については,生涯学習課文化係へお問い合わせください。

 

廃寺3廃寺2

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生涯学習課 文化係

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  • 2016年9月30日
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