武勇
-国登録有形文化財- 建造物
□ 武勇
登録年月日 |
平成23年7月25日 |
所在地 |
大字結城字浦町 |
年代 |
江戸~大正 |
員数 |
5棟 1基 |
銘酒「武勇」で知られる株式会社武勇は旧市街地の中心部を占める浦町にあり,通りの南側に酒造場があります。保坂家が越後(新潟)から結城に移り住んだのは江戸末期といわれ,代々酒造業を営んでいます。
店舗である見世蔵は2階建・桟瓦葺で,間口7間の前面に約半間の下屋庇が付き,東側4間半が奥行5間の寄棟造,西側2間半は奥行き2間半の切妻造です。1階正面は,左寄り1間に引き違いガラス戸を建てて出入口とし,その右2間を格子窓とします。
出入口以外は腰を石積み(3段)としますが,中央付近より右側の石は比較的新しく,やや外側に張り出して目地を漆喰塗とするなど,明らかに左半分(寄棟部分)とは異なっており,当初は寄棟・妻入りのすっきりした外観であったと思われます。
見世蔵の内部は,1階が店舗と座敷,2階がすべて蔵座敷となります。2階(12畳と8畳)は天井も低く,床の間等の座敷飾りもないことから,杜氏をはじめ男衆の寝室に利用されたものと考えられます。
建設時期は幕末と推定されますが,全体的に保存状態がよく,切妻部分と事務室の増築を除けば大きな改造はなく,結城に現存する見世蔵の中でも最も古い遺構です。
○武勇脇蔵 1棟(土蔵造平屋(一部2階)建,瓦葺) 建設時期:明治後期
名前の通り見世蔵の西脇に隣接する土蔵です。切妻・平入り・桟瓦葺で,桁行6間・梁間2間の平屋ですが,東側の桁行2間分を中2階の物置としています。
外部仕上げは白漆喰塗ですが,通りに面した北側は石貼の腰巻を設け,壁面を縦板貼とします。軒は鉢巻を廻しています。建設時期を知る資料等は残されていませんが,隣接する見世蔵とは外壁を別にし,通り側の外壁にも若干のズレが見られることから,見世蔵の後に建設されたと思われます。部材の古さや言い伝えから,明治後期のものと推定されますが,保存状態は良好です。
○武勇製品蔵 1棟(土蔵造平屋建,瓦葺) 建設時期:明治後期
店舗(見世蔵)の奥に繋がる大規模な土蔵で,切妻・平入り・桟瓦葺,桁行9間・梁間5間半。
中央部に260ミリメートルの独立柱を8本立てて上部を2階とし,西側全体に梁間2間の下屋を付設しています。部材の古さからも明治期の建設と推定されます。
○武勇仕込蔵 1棟(土蔵造平屋建,瓦葺) 建設時期:明治42年
製品蔵の西側に隣接する土蔵で,切妻・妻入り・桟瓦葺,桁行10間・梁間4間。中央部に8本の独立柱を立てます。
北側に防火引戸を設けて出入口としますが,東側は製品蔵,西側は麹蔵および旧釜蔵(梅干蔵)と連絡しています。建設年代は,中引梁に残された墨書によって明治42年であることが判明しました。
○武勇旧釜蔵 1棟(土蔵造(一部木造)平屋建,瓦葺) 建設時期:明治37年
かつては釜場として用いられていた切妻・平入り,桁行6間・梁間3間の土蔵で,北側西寄りに切妻・平入り,桁行5間・梁間2間の木造真壁造の保冷庫(現)を付設しています。
土蔵部分は平成6年に小屋組と屋根を改造し,側柱の内側には新規の添柱が立てられていますが,側柱や独立柱,梁などは創建当初の部材であり,地下室の釜場も現存します。建設年代に関しては,現存する棟札に「間口七間 奥行三間 半 明治三十七辰年六月十四日起工 仝年七月一日上棟 棟梁 中村榮次郎 頭立堀幸吉 木引坂本竹三郎 左官石塚米吉」と記されています。
北側の真壁造部分は後に増築されたものですが,部材の古さからみて戦前のものと考えられます。
煉瓦造の方形煙突で,外部に補強のための鉄材(アングル)を廻しています。これは昭和初期のもので,その際,上部を約2.5m切り詰めたといいます。
建設時期は関東大震災以前ですが,当初の煙突は土管を用いたものであったといわれ,釜場蔵とともに明治37年に建設されたと考えられることから,現存する煉瓦造の煙突は大正頃のものと考えられます。旧釜場蔵の地下室(釜場)と連絡しており,現在も使用されています。
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- 2016年8月31日
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