市指定文化財 古文書(詳細)

有形文化財の部 -古文書-

1 赤荻家所蔵文書

赤荻家所蔵文書


 長さ10メートル、幅35センチメートル。結城家後継者にあたる前橋松平家と結城十人士及び十八人士との間に往復した消息状、江戸幕末に結城藩より結城町の名主中にあてた開拓に関する沙汰書など巻物に表装されたもので、所蔵文書は29点にのぼります。いずれも結城の資料として貴重なものです。

年代 江戸時代
数量 1巻
指定年月日 昭和48年3月12日
所在地 結城市大字結城(浦町)
所有者 個人

 

2 将軍家政所下文

将軍家政所下文


 縦33.5センチ、横54センチ、下野の大族小山家に伝えられたものであり、建久3(1192)年9月、源頼朝が将軍として御家人の小山朝政に対して下野国日向野郷地頭職補任した下文です。実に貴重な古文書で、数多くの歴史著書に引用されています。

年代 鎌倉時代
数量 1点
指定年月日 昭和51年2月5日
所在地 結城市大字上山川
所有者 個人

 

3 将軍足利義政感状他

将軍足利義政感状他


 結城勢の長沼城攻めに関する文書、将軍方の結城城攻めに関する文書、下野の小山小四郎の結城城攻め率先参戦を賞し、なお軍忠を催促する書状の3点で、いずれも足利義政から小山小四郎にあてた文書です。

年代 室町時代
数量 3点
指定年月日 昭和52年3月4日
所在地 結城市大字上山川
所有者 個人

 

4 鎌倉公方持氏感状他

鎌倉公方持氏感状他


 鎌倉公方足利持氏がそれぞれ下記の人物に宛てた6点の文書です。

  1. 応永24(1417)年5月9日、結城基光の上杉憲実家人等の追捕の功を賞すもの、
  2. 同27(1420)年7月20日、小山満泰に上杉禅宗の残党の追進を命ずるもの、
  3. 同29(1422)年6月13日、小山満泰に小栗満重追討を命ずるもの、
  4. 同30(1423)年正月26日、小山満泰の常陸小栗城における戦功を賞すもの、
  5. 同30(1423)年12月23日、小山持政の小山相続を安堵するもの、
  6. (年号不明)12月28日、小山満泰の戦功を賞すもの
年代 室町時代
数量 6点
指定年月日 昭和52年3月4日
所在地 結城市大字上山川
所有者 個人

 

5 古河公方成氏契状案

古河公方成氏契状案


 縦25センチ、横86センチ。閏正月11日付小山下野守あてに出したもので、文中に「江ノ嶋動座」以来今度一乱および累年之武術之戰功を抽ずること真実以て感熱の至り云々と書いてあり、成氏が宝徳2(1450)年4月に上杉憲忠宰長尾景仲などのため襲われ江ノ島へ逃避したというもので、当時の歴史を物語る貴重な古文書です。

年代 室町時代
数量 1点
指定年月日 昭和52年3月4日
所在地 結城市大字上山川
所有者 個人

6 多賀谷季雄家文書

修理後(4)『結城秀康朱印状』

 

 多賀谷安芸守政広の子孫である多賀谷季雄家に伝わる5点の古文書で、戦国期の結城家家臣の状況を伝える貴重な資料となっています。特に3.4.5の古文書は秀吉から結城家、家臣へ褒美を与える一連の流れを理解できる書類として重要な資料です。
 多賀谷政広は結城政朝の代から結城家に仕え、結城晴朝の代には北条氏や佐竹氏、宇都宮氏などとの外交の使者として活躍し、常陸国小栗城の在番を務めた人物です。

  1. 結城政勝所領宛行状 弘治2(1556)年2月2日 結城政勝が多賀谷氏に延嶋地内、上川原地内の35貫文の領地を与えた
  2. 結城晴朝所領宛行状 天正14(1586)年8月23日 結城晴朝が多賀谷氏に小栗地内50貫文の領地を与えた
  3. 豊臣秀吉朱印状 天正18(1590)年9月20日 豊臣秀吉が多賀谷氏に小山領内の大宮、藤井内の細井・橋本村の2,050石を与えた
  4. 結城秀康朱印状 天正18(1590)年9月21日 結城秀康が多賀谷氏に小山領の大宮、細井・橋本村の2,050石を与えた
  5. 増田長盛等知行内渡状 天正18(1590)年9月21日 増田長盛・牧村利貞から渡された多賀谷氏の2,050石の領地目録

 

年代 戦国時代
数量 5点
指定年月日 令和4年2月1日
所在地 結城市大字結城(大町)
所有者 結城市教育委員会


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